ゆうとのこと(小学校チャレンジ!篇)

難聴児の息子が地域の小学校に入学しました!親の視点からさまざまな気付きを綴ります。

ある講演会を終えて

今日は発達障がいのお子さんの療育に関する本を多数執筆しておられる鈴木昭平先生の講演を聞きにいきました。先生のお話くださった内容は、難聴児の療育にも同じように言えることばかりで、自分はどうやってきたかな?とこれまでを振り返るよいきっかけになりました。最後に、参加者の皆さんの前で話す機会を与えていただいたのですが、他の障がいを持つお子さんのお父さんやお母さんの前で話すのは初めてだったので、めちゃくちゃ緊張しました。突然振られたので、言葉を全く用意していなくてちゃんと整理して話せたのか不安なのですが、特に小さいお子さんのご両親も多かったので、「親」の役割みたいなことを偉そうに語ってしまいました。

これは私が仕事と息子の子育てを通して確信していることなのですが、親が「変わる」と子どもも必ず「変わる」ということ。もし今お子さんについて困っていることや悩んでいることがあったら、お子さんを変えようとするのではなく、まず自分が変わってみようと考えることが大切だと思います。これは親子関係だけではなく他人との関係においても言えることです。

人間関係が上手くいかない時、相手(他人)を変えようと考える人は少ないと思います。例えば自分から声をかけてみる、自分から挨拶してみる、というように、自分という環境を変えてみることで関係に変化が訪れることを期待するのではないでしょうか?

これが親子関係になると、子どもを自分の思い通りに変えよう、子どもに何か原因があるんじゃないか、と相手(子ども)に変化を求めてしまうことが多くなるような気がします。自分の子どもとはいえ、距離感を勘違いしてしまうとこういう発想にたどり着きやすくなるような気がします。私の経験上、これで上手くいった親子は見たことがありません。

子どもは自分が産み落とした瞬間に自分の「所有物」ではなく、一人の独立した人間「個人」になるということを忘れないようにしたいものです。たとえその子どもに障がいがあろうがなかろうが同じです。

私は息子と一緒に人生を再び生き直している気がします。こんなに生きることを真剣に考えたことは息子を産むまでありませんでした。人間の言葉が生まれてくる課程、思考が育ってくる課程、身体が成長する過程を具に目撃して、人への尊敬の念は深くなりました。本当に小さな積み木をひとつひとつ積み上げるような作業だったり、細かいパズルのピースをひとつひとつはめるような作業だったり、長い階段を一歩一歩上っていくような作業でした。あぁ、こうして人はできあがるんだ、と、今も息子には感動しっぱなしです。

ただなんとなく生きてきたこれまでの人生は、きっと息子を産んだ瞬間に終わったんだな、と思います。再び真剣に生きるチャンスをくれた息子との出会いには感謝しかありません。

「親」の役割はいくつもありますが、それはすべて子どもの意思の尊重の上にあるものではなくてはいけないと思っています。ただ、小さい子どもの場合は、自分の意思がまだないので、親が導いていかないといけませんが。どこへ導くかは「親次第」ということになります。

子育てをする上で、親は長期的視野と明確なビジョンを持っていた方がいいと思います。

最終的にその子がどんな大人に成長して欲しいか、どんな人生を過ごして欲しいか、そこに向かって、今何をすればいいのかを考えると子育てはブレないと私は考えています。

それからこれだけは絶対と思っていること。

諦めなければ新たな道は開ける。諦めた瞬間に閉ざされる道がある。

親には子どもの未来を諦める権利はありません。その権利があるのは本人のみです。

他人と比べる必要はなく、我が子はオンリーワンの存在です。

その子がオンリーワンの幸せな人生を送れるように、見守り、支えていくことこそが親の一番の役割なのではないでしょうか。

子育てには必ず終わりがあります。いつか必ず子どもとお別れする日がきてしまいます。だから限りある子どもとの時間を、精一杯楽しんでもらいたいと思います。今、この瞬間が一番幸せと思える毎日を過ごせるといいですね。

偉そうに、失礼しました(笑)