ゆうとのこと(小学校チャレンジ!篇)

難聴児の息子が地域の小学校に入学しました!親の視点からさまざまな気付きを綴ります。

夢の話

もう100話くらいになっているでしょうか?

息子の「夢の話」です。

毎日続きを聞かせてくれる「ダ・ダ・大冒険!」という息子のオリジナルストーリー。

大抵は車で移動している時に聞かせてくれるのですが、私が「ほうほう、それで!」「なんと!」とか合いの手を入れないと次に進んでくれない(待っている)というルール付き。

漫才みたいなやり取りです。

「その時、〇〇がやってきて牢屋のカギを渡しました。そして牢屋を脱出した〇〇は・・・つづく」

といつも良いところで to be continued.

「今日の夜はこの続きから夢をみるんだ」とのことです。

面白い(笑)

たまに私の合いの手が上手だと乗ってきて「予告編」も話してくれます。

どうして今夜見る夢の予告ができるのか・・・野暮なことはつっこみません。

お互いに楽しければ、それでいいのです。

小学生になって、息子は以前に増して本好きになりました。

家にいるときは、ずっと何か読んでいます。

いまはまっているのは、「かいけつゾロリ」シリーズと「おしりたんてい」シリーズです。

ちょっと難しい「サバイバル」シリーズも読みながら笑っています。

息子の「夢の話」のネタもこうした本からの引用が多いです。

言葉の表現力も磨かれていく様子を見ながら、活字は息子の血となり骨となっていると実感します。

昔読んだ本で、子どもの学力は家にある本の数で決まる、という一文がありました。

とにかく漫画でも雑誌でもいいから、家に100冊の本を並べなさい、ということで、もともと私も本好きなので、家の中は本に占領されています。

どんなジャンルでもいいから100冊の根拠は忘れてしまいましたが、暇な時に、つい本を手にとってしまう、という環境づくりが大切なのだということだと思います。

活字からしか得られないものには「語彙」があります。

会話ではけして出てこない「言葉」が本にはぎっしり詰まっているから。

その前後の文章を読み解くことで、自然と言葉の意味が理解できる。

語彙はその後の「読解力」を支えます。

読解力がないと算数の文章題が解けないので、計算だけ早くても点数に結びつきません。

 

昨日、息子とブラックボックス問題をやってみました。

(1)中が見えないコップにおはじきが8個入っています。

(2)ぽんっとコップを叩くと、中のおはじきが4個になりました。

(3)次ははじめから6個入っています。

(4)またぽんっと叩くと今度は3個になりました。

(5)では、このコップの特徴を説明してください。

という問題。

正解は「叩くと中に入っているおはじきが半分になるコップ」です。

ここでのポイントは「半分」という言葉がでるかどうか。

8の半分は4、6の半分は3。

わかっているけど「半分」という言葉が、小1の子どもの語彙力では出にくいというのです。

大抵の子どもは、「コップを叩くと8個あったおはじきが4個になったり、6個あったおはじきが3個になる」という感じで沢山言葉を使って説明しようとします。

文章を完結にまとめるためには「半分」という語彙が必要なんですよね。

息子も、計算式で8-4=4ならできますが、言葉で説明しろと言われてだいぶ苦戦していました。

 

灘高校の先生の有名な格言で「国語はすべての学問の基本」という言葉。

本当にそのとおりだと思います。

私がまだ学童クラブで働いていたころ(18年前)、筑波大附属小の子が来ていて、その子の読んでいた本が「ハリーポッター」でした。

小1の子がこんな本を読むんだ~と感心していましたが、いざ息子が小1になってみると、あの子の凄さがわかります。

ご両親がお医者さんだったので、もうどこかの医学部にでも入ってバリバリ研究でもしているんじゃないかな~と思います。

 

今後、算数のテストも記述式に移行してくるだろう、と言われています。

1+2=3

と計算式だけを書いていれば丸を貰えた時代は終わり、「なぜそういう答えになったのか理由を書きなさい」という問題に変わっていくそうです。

論理的思考力も試されるということなのかな。

説明するのには語彙が必要になるわけで、国語力のない子は算数で苦労するということになりそうです。

前述したブラックスボックス問題のようなものです。

大変な時代だな・・・とつくづく。

 

あれ?夢の話が最後は勉強の話になっちゃった。

なんだか最近、息子の勉強のことを考えてばかりで、すみません。