ゆうとのこと(小学校チャレンジ!篇)

難聴児の息子が地域の小学校に入学しました!親の視点からさまざまな気付きを綴ります。

小さなお子さんを育てているお母さんへ

前回ですね、息子が小学生になってできるようになったこと、を書きました。

じゃあ、うちの子がすごく発音がきれいで、語彙力があるかというと、決してそうではありません。

語彙の数で言えば、同学年の聴児の方がはるかに多いですし、日本語力も高いです。

当たり前なのですが、比べても仕方がないのですが、私も本人もこの差を幼稚園の頃からはっきり見せつけられているので、結構傷つきもしましたし、落ち込みもしましたし、最近では開き直ってもいます。

語彙力を増やす努力は続けないといけませんが、子どもの現在進行系の毎日をつつがなく過ごすためには、今持っている力を最大限使い切るのがベストかなと。

 息子もたぶん、わかっていると思うのです。

「今の自分はこうだ」

それを、恥ずかしいと思わずに、今が自分史上最高の自分と「自信」に変えるのにはどうしたらいいのかというと、やっぱり自己肯定感を鍛えることだと思うのです。

自己肯定感を鍛える方法なんていうのは、たくさん本も出ているしネットで検索すればいろいろ出てくると思うので、あえては書きませんが、やはり親の役割というのは大きいのかなと思います。

親も自己肯定感が高くないといけないのかな・・・と思った時期もありましたが、私自身は自己否定感の方が強く、えらそうに自己肯定感を語れる人間ではありません。

うちの主人もそうは高くないと思います。

つまりは「遺伝」ではなくあくまでも「本人次第」というところ。

いろいろな「環境が整えば」自己肯定感の低い両親の子どもであっても、自己肯定感のある程度は高い子どもに育つのではないかと思うのです。

だって、いい歳になって、いまさら自分を変えるのは無理でしょう?

痛々しい親の姿が、子どもにいい影響を与えるとは思えません(笑)

親ができることといえば「環境」を作ることだと思うのです。

 まだ小さいお子さんを育てているお母さん方に、自分の経験上(失敗も含めて)お伝えしないといけないと思ったことは、「ことば」と「思考」の成長は比例しないということです。

息子は1歳8ヶ月から人工内耳を装着していますが、音入から1年はほとんど発語しませんでした。ひたすら意味不明の「マンマンマン」を繰り返していました。それはそれで可愛かったのですが、やはり焦りました。

人工内耳をしたら聴こえるんじゃないの?話せるんじゃないの?と信じていられたのも半年までで、半年過ぎると息子が話せるようになる、とは信じられなくなってくるのです。

それでも、当時お世話になっていたことばの教室の先生方は「話しかけなさい」「楽しく遊んであげなさい」と励ましてくれました。

「子どもはね、楽しければ声を出すのよ」

その言葉にすがるような気持ちで、心で泣いて、顔は笑って、の毎日でした。

ようやく言葉らしい発語が出てきたのは、もうすぐ3歳になろうかという頃でした。

一度溢れ出した言葉は泉のように止めどもなく溢れ出し、3ヶ月で500語を越えて数えるのをやめました。

子どもの成長と、それまで支えてくれた多くの人たちへ心から感謝をした瞬間でした。

息子が音入をしてから、欠かさずやってきたことがありました。

日記と、言語表への記入です。

この言語表、発声言語と理解言語にそれぞれ分けて記入していたのですが、当然、発声言語はほぼ空白のまま。でも理解言語はそれなりに増えているのが目で見て実感できました。

「ゆうちゃん、風船とって~」取ってきたら理解しているということ。

「車、ブーブー、赤い車かっこいいね~」絵本を読んでいて、息子の指が赤い車を指していたら理解しているんだな~とか。

言葉を「入れる」といいますが、本当に入れる、脳に記憶に刻み込む、という感じ。

それも言葉だけではだめで、経験や実物を伴っていないとダメだったり。

畑を借りて、実際に野菜を育てながら「人参、オレンジ色できれいだね~」「細くてなが~い」「手が汚れちゃった、汚いね」「イタタタ、ママの腰が痛くなっちゃった」「ゆうちゃん、バケツにお水をくんできてね。こぼさないように、ゆっくりはこんできてね」言葉の中に新しい単語を散りばめながら、「こういうことか」と本人が体で覚えた言葉が本当の生きた言葉になります。

クリスマスにはわざわざ暖炉のある貸し別荘で過ごしました。暖炉の火は温かくて、触ると危ないよ。木がパチパチ鳴ってるね。煙突からサンタさんがくるかな?外は雪が降ってて寒いね。雪って冷たいね。あ、溶けちゃった。手がかゆいかゆい。

難聴の子どもの子育てというのは、ひとつひとつが丁寧であり、意味があり、愛情溢れるものであれば大丈夫だと思うのです。

息子が発語しだすと、面白いように、これまで記録してきた「理解言語」が「発声言語」へと移行していきました。理解していない言葉は発声言語には結びつかないことを実感しました。

さて、だいぶ長くなりましたが、まだ小さいお子さんを育てているお母さんは、いろいろご心配も多いと思います。

でも、「発声言語」と「理解言語」はイコールではないのです。同じように「ことば」は遅くとも「思考」は年相応に鍛えられるということです。

考える力はある程度のトレーニングと本人の経験が必要になってきます。

ことばが遅いから、考える力も遅い、というのは間違いです。

私は息子を精一杯育ててきたつもりですが、悔やむとすれば、言葉にばかり着目しすぎて、思考を鍛えることを長らく怠けていたことです。

諦めないで、今できることを、悔いのないようにお子さんにやってあげてほしいと思います。