ゆうとのこと(小学校チャレンジ!篇)

難聴児の息子が地域の小学校に入学しました!親の視点からさまざまな気付きを綴ります。

小学生になって変わったこと

幼稚園児から小学生になるって、親も気持ちが引き締まりますが、当然子どもも同じなんだな~と思います。

うちの息子の変化にはうすうす気付いてはいたものの、やっぱりこの子「変わった!!」と確信しました。

まず、なにがどう変わったかというと・・・

(1)誰にでも(大人でも子どもでも)気軽な感じで挨拶をしたり話しかけたりするようになった。

(2)会話力が高まった。

(3)自分を語りはじめた(ハンデのこと、長所と短所とか)。

(4)コミュ力が高まった。

(5)未来について考え始めた。

(6)絵が劇的に変わった(上手くなった)。

(7)論理的な話し方をするようになった。

(8)自己主張をするようになった。

具体例でいうと、(1)うちの町内を歩いていて、道路を挟んで反対側を歩いてきた人に、大きな声で「おはようございます」とか「こんにちは」と挨拶をするようなりました。

どうしてそんな大きな声を出すのか聞いたら、「だって、遠くにいる人には小さな声だと聞こえないかもしれないから」だそうです。

逆に同じ側の歩道を歩いている人には、適度な音量で「こんにちは」と挨拶していました。

知らない人にも、知ってる人にも、恥ずかしがらずに挨拶できるようになったのは嬉しいのですが、「距離=声の音量」の使い分けができるようになっているのには驚きました。まぁ、相手のことを考えたら自然にそうなると思うのですが、今まではなかった姿です。

学校で指導されたのでしょうか?あんなにシャイだった息子の変化に親が驚いています。

挨拶することは「恥ずかしいことではない」と、むしろ「気持ちのいいこと」だということに気付いたのなら嬉しいかぎりです。

昨日も、道ですれ違う人(知らない人)には「こんにちは」と挨拶をしていました。親の私が慌てて「あ・・・こんにちは」と挨拶するほどでして、ちょっと親としては反省です。

ここですごいな~と思ったのは、やたらめったら挨拶していないところです。相手との距離感というか、場というか、街中だとすれ違う人が多すぎて挨拶してたらキリがないことはよくわかっているところ。公園とか、遊歩道とか、近所を歩いていてすれ違うときとか、相手と自分との「距離感」を使い分けているところです。こういう感覚というのはどうやって身につくのかなぁ?と親でありながら感心しました。言葉は悪いですが、危ない人にならない” さじ加減 ”が大切だと思うのです。

それから、(2)会話力。挨拶+αのどうでもいい世間話をするんですよね~。

例えば、犬の散歩をしていた人に

「こんにちは。かわいいワンちゃんですね。名前は何ていうんですか?」とか

「おはようございます。今日はいい天気ですね」とか。

どうでもいいことなんだけど、ちょっと挨拶に味付けするだけで印象が良くなる、っていうのかな。

どこでこんなテクを身につけたのか、うちの息子か?本当に?と思いました。

(4)コミュ力にもつながるスキルだと思うのですが、「それいいね」「それかわいいね」と相手に共感してから自分の意見を言うのって、人と円滑に付き合うには大切なことですよね。そういうのが、小学生になって急にできるようになりました。

そして(3)自分を語り始めました。

先日、おやつを食べながら学校の話を聞いていると

「あのさ、誰にでもいいところと悪いところがあるんだよね。僕は耳が聞こえないけど、そのかわりに頭がいいってママやパパは言うよね。僕、みんなより耳が聞こえない分、勉強がんばるんだ」

ポジティブシンキング!

確かに、家で勉強を教えている時、「すごいな~」「さすがだね」「ゆうとは頭がいいな~」と褒めることはありますが、すべては本人のやる気を引き出すための口八丁。

でもやれば自分はできるんだ、という発想は私は好きだな~と思います。

そして「僕が生まれた時、耳が聞こえないってわかってママとパパは悲しかった?」

とか聞くので「うん、もちろんだよ」と答えると「心配させてゴメンね。いつもありがとう」だって。

相手がなんて言ったら喜ぶか、よく心得ているのです。多少わざとらしい風でもあり、自分の6歳の時ってもっとずっと頭空っぽでガキっぽかったのになぁ・・・最近の子はすごい、と思いました。

そして(5)未来のこと。これって大きくなったら〇〇になりたい、というものではなくて、

「もし僕が結婚して家を建てたら、パパとママを呼んであげるから一緒に住もうね」とか

「家族の中で、誰が一番最初に死ぬのか誰もわからないんだよね。もしかしたらママかもしれないし僕かもしれない」とか

テレビとかの影響もあるのかもしれないけど、ドキッとすることを言います。

(6)の絵が劇的に上手くなった、というのは、正確に言うと観察眼がついた、という方が正しいかもしれません。昨日、小さな男の子に「アンパンマン描いて」と言われて、絵を見て描いていた姿に驚きました。「バイキンマン」「しょくぱんまん」と言われても絵を見て描いている、その絵が結構似ていてまたびっくり。息子がキャラものを描くことはおそらく初めてだと思うのですが(これまで一度も見たことがない)、見本通りに描くということがきっと得意なんだろうな~と感じました。

これを観察眼と言っていいのかわかりませんが、思い当たることはあります。

息子は年中さんくらいから「点図形模写」にハマりまして、10×10くらいは軽くできると思います。この点図形、実は奥が深く、図形感覚を身につけるのに非常に効果的だと聞いてコツコツ取り組んできました。

慣れてくると点図形では物足りず、2枚の点図形を重ねて描いたり、対称図形を描いたり発展していきます。

よく「目を鍛える」と言いますが、まさに目を鍛えるのに効果はあったと実感しました。

そして〈7)の論理的な思考力。これはかなり意識してトレーニングしてきた結果が、ようやく形になってきたという実感です。

「〇〇だから〇〇」「ゆえに〇〇」みたいな、会話で「ゆえに」とは使いませんが、頭の中に自然に方程式が浮かべばしめたもの。頭のいい人はまず結論から言う、と聞きますが、本当にそうだと思います。「答え=理由」という流れで会話できると、相手にも伝わりやすいのです。

理系の人は大体結論から話し始めるので、ちょっと冷たく感じたりもします。

うちの主人がこの典型です(笑)

うちの息子もパパに似てきました。

「僕◯◯したいんだよ。だって◯◯だから」

「僕の考えはちょっと違うんだ。なぜかというと◯◯だから」

という感じで「だって」とか「なぜかというと」をよく使っています。

理系的な考え方をする人の弱点とはなんでしょう?

誰に対してでも言えることではないと前置きして、一般論として(特にうちの主人の場合)言葉の裏を読むのが非常に苦手です。

日本語の機微というのか、最近では忖度なんて言葉も流行っていますが、まさにそれ。

表面には現れていないけど、本質は言葉の裏や微妙なニュアンス、表情に隠れていることってとても多いと思います。

空気を読むなんて言いますが、言葉の雰囲気を読む、難しいですね。

相手の話を額面通りに受け取ってしまうと、関係がこじれたり、思わぬ失敗をします。

結論から話す人は、日本人的な感覚が苦手な人が多いと思うのです。

私が主人にイライラするのは、こうした言葉や気持ちの行き違いが起きたときです。

私「今日も疲れたな~」

夫「じゃあ、早く寝れば」

ではなく、

夫「忙しかったんだね。おつかれさま」

が良いのです。女は特に。

・・・話が思いっきりズレました。

息子の今後の課題は、まさにそこかと思います。

論理的思考力を鍛えるのにうちの息子にやらせていたのは「迷路」や「パズル」そしてこのテキスト。面白くて大人もハマります。

勉強って「楽しい」が入口なのではないでしょうか。

宮本算数教室の教材 賢くなるパズル&算数WEB

あとは、普段の会話の中で「どうしてそう思うの?」という問いかけが効果的です。

最後の(8)自己主張。これ、小学校へいったらとても大事なスキルだと感じています。

息子の場合、ミニマイクロフォンが暫く機能しませんでした。受信が途切れたり、なんでだろう?って。私は息子に「プロセッサーの問題かもしれないし、電波障害かもしれないし」と話していたのですが、息子は自分の操作が間違っていなければ、先生のマイクの取扱いに問題があるのかもしれないと思ったようです。

ある日、授業中に「先生、マイクの音が聞こえないので、マイクがオンになっているか見てください」と言ったそうです。

そしたらマイクがオフになっていたらしく・・・。

こういう些細な成功体験の積み重ねが大切です。もちろん失敗体験も。

困っても誰も助けてくれない状況の中で、自分がどう行動すればいいか、ちょっと学んだようです。

自分が困っていることは相手に伝えてもいい、という体験を通して、セルフ・アドボカシーは磨かれていくのだろうと思います。

これらのことが、小学生になっていっきにできるようなった、という感覚を持ちましたが、きっと本人の中には長い準備期間があったんだろうなぁ、と思います。

そして全ては「自信」から生まれることなのではないかと、ブログを書きながら息子の原動力に閃いたのでありました。