ゆうとのこと(小学校チャレンジ!篇)

難聴児の息子が地域の小学校に入学しました!親の視点からさまざまな気付きを綴ります。

学校にお願いしたこと

とうとう小学生になってしまいました。

息子が生まれてからこれまでが、あまりに激動で長くて濃厚すぎて、喜びというよりもやれやれという気持ちの方が大きいのが正直なところです。

今日から小学校の授業っぽいことが始まりますが、ちゃんと先生の声が聞こえているかな~とか、ごちゃごちゃ心配ばかりして落ち着きません。

小学校へ入学するに当たり、学校にお願いをいくつかしましたのでご紹介します。入学式の前に関係者と打合せをする時間を頂けたのですが、その席には校長、教頭、担任、学年主任、支援員、教育委員会の先生方が出席してくださいました。各方面へのお願いが一回で済むようにと教頭先生のご配慮でした。

ちなみに、自分の子ども以外の子の支援のために他の学校へ行くことがありますが、その度に「教頭先生」がキーマンだなと感じます。教頭先生と良好な関係を築くことが、小学校生活を乗り切るポイントだと思います。

学校へお願いしたことは以下10項目です。

 

(1)側頭部への強い衝撃に気をつける。

もしボールが当たった、転んで頭を打った、どこかにぶつけた等のことがあったら以下のように対応をお願いします。

・本人に聞こえの状態に変化がないか確認する。

・本人が「平気」と答えても、必ず連絡帳や電話でご連絡頂けると助かります。

 

(2)子どもには極力触らせない。

ただし、先生が見ているところで取扱に注意していただければ触ってもらって構いません。ゆうとにとって大切な機械であることを話して下さい。

 

(3)正面から口元を見せるように話して下さい。マスク、後方からの声かけは聞きとりにくくなります。

 

(4)席は窓側から2列目、前から2番目にしてください。クラス全体を見渡せて、先生の声も聞こえやすいポジションです。

 

(5)本人が「聞こえた」と言っても、大切なことは理解しているかを確認して下さい。聞こえたことを説明させてみて下さい。本人の聞こえと他の人の聞こえは違います。聞こえていないことに気付けないのが難聴です。

 

(6)指示と違うことをしていたら、まず指示が「聞こえていたか」確認して下さい。聞こえていなかったら「思い込み」や「わかったふり」をせずに聞き返すように指導して下さい。

 

(7)放送の音が聞こえにくいので、大切な内容のときは、口頭でもう一度話して下さい。

 

(8)屋外ではさらに聞きとりが悪くなります。ジェスチャーなどを併用して頂けると助かります。(集合の笛の音も聞き取りにくい場合があります)

 

(9)大声で話す必要はありません。普通に話して聞こえます。子どもたちにもそのように伝えてください。

 

(10)重要なことはなるべく板書をして下さい。聴力で情報が足りない部分は、視覚による情報に頼っています。口元を見せるのも効果的です。

 

本当は、3つくらいに絞りたかったのですが、ついつい10項目もお願いしてしまいました。最初からたくさんお願いをすると、あとで追加しにくくなったり、引かれてしまうなどと聞いていましたので、これくらいが限度ではないかと思いました。

先生も新しいクラス運営に最初はご苦労なさると思うので、皆が慣れてきた頃に、また少しずつお願いを増やしていけたらいいな、と思っています。

そして、息子に関わる先生方にはこれだけは心に留めておいて頂きたいということで

「難聴は見えない障害と言われますが、本人の困っていることが他の人には非常に分かりにくいのが特徴です。上手にしゃべっているから聞こえているだろう、支援は必要ないだろう。という周囲との認識のズレが生じやすく、なかなか理解してもらえないという悩みを抱えている子どもは少なくありません。大丈夫そうに見えても、それは本人の努力によるものが大きいので、どうか「すべてが聞こえている」と誤解しないようにお願いします」

というお話をしました。

焦らず、6年間は長いですからね。

 

ちょっと余談になりますが、私たちの住む自治体には「難聴学級」がありません。難聴の児童生徒は月に2回、県立の特別支援学校へ放課後通級指導を受けに行くというのが基本です。そもそも特別支援学校は県内に3つしかありません。

地域の小中学校では各市町の教育委員会が窓口になりますが、特別支援学校では義務教育課程でも県の教育委員会の管轄。

地域の小中学校に難聴の児童生徒が入学した場合、県の管轄である特別支援学校の積極的な介入を期待しすぎるとがっかりします。こちらから依頼すればフォローはしてくれる、という程度です。

 

通級指導は基本的には放課後のことなので、小学校の受け止め方もクールです。

せめて、生徒の情報共有はされていることを信じたい気持ち。