人工内耳はすごい。でも魔法の道具ではないのだ。残念ながら・・・

人工内耳をしている難聴の子どもは、どんなことに困るのだろうか?子育てしながら気になることを書いています。

泣くのをやめた日

生まれたばかりの我が子が難聴だと言われた健聴の母親は、たぶんほとんどの人がやると思いますが、子どもの耳元で「おーい、聴こえる?」って大声で言ってみたり、わざと近くで物を落としてみたり。

そうして、子どもが反応してくれることを神にも祈りながら待つわけですが、結果にさらに傷つくのです。事実をなかなか受け入れられない。当然です。

途方に暮れて、我が子の寝顔をただ眺めているだけで涙がこぼれ。

体が干からびてしまうのではないかと思ったくらい涙に暮れた時期がありました。

これからどうやってこの子を育てたらいいのかしら・・・。これまで聴こえる世界で生きてきた母親は、人生で(恐らく)初めて「難聴」に向き合います。

ネットで情報を集めまくる時期でもあり、私はぱるが寝ている時間はほとんどパソコンの前に座っていました。

精神的に敏感になっていた時期は、他人の言葉にもいちいち傷つきました。

生後1ヶ月、精密検査のために大きな病院を訪れた際のこと。

結果を告げる医師が言った言葉は忘れられません。

「残念ながら、聴こえていません。これからは手話を覚えることですね。それからろう学校を紹介しますから行ってみて下さい」

今思えば、なんでもないことですが、当時は「聴こえない」「手話」「ろう学校」すべての聴き慣れないキーワードに頭がついていかなくて、医師の声がどんどん遠のいて行く感覚に恐怖すら感じました。

自分たちに何が起こったんだろう?

夫が「大丈夫だよ。大丈夫だよ。」と根拠もないことを言って励ましてくれる言葉にすがって、これは夢だった・・・というオチを期待することが精一杯でした。

実家に帰り、母に事実を告げたのはそれからでした。

「そんなはずはないわよ。その検査なんか間違ってるんじゃない?」とか「ほら、こっち向いた。聴こえてるよ(パンパンと手を叩いて)」と、母も必死で現実に抗おうとしていたのでした。

一番傷ついたのは、日常の些細な無神経さでした。

ぱるが寝ている側で、母が掃除機をかけ始めたので「ちょっと、ぱるが寝てるから後にしてよ」と言うと「だって、聴こえてないんでしょう?大丈夫よ」と。

何にも考えていないと本音がでるんだな~と、びっくりしてから猛烈に怒りがこみ上げてきて。

ぱるは難聴なだけで、「常識的な扱いをされるべき普通の子どもである」という定義が私の中でふつふつと生まれはじめたのでした。

それ以後、私はぱるの障害を悲観して泣くことはやめました。

母はこうして強くなるのだ(笑)

5才の気付き

 ぱるは今幼稚園の年中さんです。
最近あることに気付いたようです。
側頭部の膨らみ。「これなんだ?」・・・え!?何を今更。

一度気になりだすと、自分が納得するまで追求してしまう性格、私にそっくり(笑)

「これなんなの?何が入っているの?」
インプラントっていう機械だよ。ぱるが小さい時に手術して埋め込んだやつだよ」
「え~(鳥肌)そんなことしたんだ?怖い~」

覚えていないんだなぁ。

「ママにもある?」
「ないよ。だってママは聴こえるもん」
「◯◯くん(健聴の友だち)にはある?」
「ないよ」

がーーーーーーんっっっ(僕だけ???ぱるの心の声)

「でも、△△くんはしてるよ(難聴の友だち)」
「そうだった!僕と一緒だね」

自分と他人との間に共通点を見つけられたことに安心感、みたいな。

5歳のぱるの納得地点はこの辺りのようでした。

最初の気付き、だったのかもしれません。

人工内耳という奇跡

ぱるが人工内耳をつけてもなお、まだ私は半信半疑でした。「言葉を話すようになる」という確信が持てず、焦りばかりが自分を支配していました。

一つ目の人工内耳の手術(※1)から11ヶ月がようやく過ぎた頃、それまで「あーあー」「まんま△☓◇◯☓☓」しか言わなかったぱるが、突然言葉(らしきもの)を話し始めました。

 音入れ(※2)からちょうど1年が経った頃には、表出言語は約185語。理解語は350語を超えていました。

言語発達を波に例えると、まさに「いい波が来た」時期だったと思います。

それから毎月約100語づつ表出言語が増えていき、音入れから1年4ヶ月後には表出言語が500語を超えて、数えるのを止めました。

 私たち夫婦はぱるを口話で育てると決めて人工内耳を選択しましたが、だからといって必ず思い通りにいくなどという甘い考えは持っていませんでした。

いつも最悪の結果を考える癖がついていたため「安心」など一度もしたことがありませんでした。

それでもやはり、人工内耳との出会いがぱるの運命を変えたことは確かなことでした。

 (※1)ぱるは両耳に人工内耳をしています。セカンドの手術は2歳4ヶ月でした。

(※2)ひとつひとつの電極をどのように刺激するかのプログラム(マップ)を決めて初めて音を入れること。

息子は難聴

壮絶な難産の末に生まれたぱる。

誕生して4日目に新スク(※1)で引っかかったことを医師から告げられて、一時は奈落の底に突き落とされましたが、あれから早5年。なんとか這い上がってきました・・・といっても別にゴールした気分ではなく、やっと現実に慣れて(親にも障害受容に至るまで長いプロセスがあるのです)、気持ちが整理できるようになったという程度です。

息子は両耳スケールアウトの重度難聴だったので生後5ヶ月から補聴器をつけていましたが音への反応が鈍く、当然言葉なんかでるはずもなく。

適応基準(当時1歳6ヶ月)がくるまでは本当に悶々とした日々でしたが、ついに適応基準年齢に達して人工内耳の手術に踏み切ったのです。
ただ、多くの難聴児の親がそうであるように、私たち夫婦も簡単に人工内耳を選んだわけではありません。非常に悩みました。

ぱるをどのように育てるかについてです。

ろう者として手話を第一言語で生きていくか、聴こえることに出来得る限りチャレンジして口話で生きていくか。
そこにはぱるの二つの人生が見えました。ぱるにとってはアイデンティティの分かれ道だったと思います。

本人ではなく親が決めるのです。本人が選べる精神年齢がくるまで待っていたらすでに選択肢はなかったのです。
一人の人間の人生の、これほど重要な決定を自分たちがするという責任感に押しつぶされそうになりながら、悩み悩み悩んだ末に、私たちはぱるを口話で育てることに決めました。
それは、私たち夫婦は健聴者で、愛する息子を自分たちの住む世界で育てたかった。身勝手な決断でもあったのかもしれません。

5年経った今でも、よく話すようになった今でも、この選択が正しかったのかそうでなかったのか、よく考えます。

(※1)新生児聴覚スクリーニング検査・・・新生児の聴力検査のこと